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以下は高校のPTA活動で原稿依頼のあったもので生徒に配布されたものです。
ティーアートのモザイクタイルに対する考えかたを述べてみました。
平成15年6月8日

思 無 邪  皆さんは新しくできた弓道場に掲げてあるこの言葉の意味をご存知ですか。

読み方は
「思い邪(よこしま)無し」で、この後に「馬の斯(ここ)に徂(ゆ)くを思う。」と続きます。
この言葉の由来は
「ひたすら良馬を育てて、その良馬が力強く駆けることを願う。」というもので、
孔子は「詩経」の精神をいちばんよく表す言葉と述べています。

 私は40歳になってから卒サラして(世間では脱サラと言う)、まったく知らなかったモザイクタイル関係の事業をはじめた者です。
サラリーマン時代は電子部品の研究開発をしていた、いわゆるエンジニアでした。
何故モザイクタイルなのか?と疑問を持つ方が多いでしょう。

 サラリーマン時代に開発をしていた電子部品の主な用途はオーディオ機器やテレビなどの家電製品でしたが私が卒サラを考え出した頃はパソコンや携帯などのIT機器やTVゲームなどに替わっていました。開発のねらいも耐久性や精度などの品質面よりも、低コスト・小型化が主になり、少し違和感を覚えるようになりました。しかも、その用途がTVゲーム。私には本校に在学している息子を含めて三人の子どもがいますが、彼らの養育の段階でTVゲームの存在には少なからぬ疑問を抱いていました。

 我々が小学・中学の頃にはそんなものは無く遊びは屋外に決まっていました。学校から帰ると友達を誘って山や川、池などへ遊びに行ったものです。夏休みは早朝から昆虫取り。毎日通うと欲しい昆虫の居場所や活動している時間帯が判ってくるのです。目的の昆虫を見つけた時のときめきは忘れようがありません。冬は凍った水溜りでスケート。ヘルメットなどをかぶっている筈もなく、転んで頭を打ったときの痛みは今でも思い出します。この遊びのおかげでかなり運動能力が発達できたと思います。川遊びの時はスリッパを流されて取ろうとした時滑り、自分も流されるなど非常に危険な目にも合いましたが、大自然の中で遊ぶことで自然とどう付き合うべきかを体得できたように思います。中学・高校時代はスポーツに明け暮れる毎日でした。古渓山の階段を5往復など苦しい練習がありましたが、スポーツにこの上ない喜びを感じていました。
 
 これを読んでお父さん達の時代は良かったよなぁと思う諸君がいるでしょうか。無関心かも知れませんね。実は私は君達の遊び・学習の環境を見ていて申し訳ないような気がしてなりません。

◆我々が育った30年前の方が楽しくというか生き生きと学び、遊んでいたのではないか。


 この30年間で自動車・家電などすごい勢いで発展し、ますます便利で豊かな社会が構築されようとしています。特にここ数年の半導体を始めとする電子機器の進歩は目覚しく高校生の諸君でも携帯を持っていない学生はいないのではないでしょうか。インターネットを使えば自宅で探し物をし、買い物ができ、世界中の情報も瞬時に得ることができます。 電子分野に限らず遺伝子解明やクーロンなどの生体科学の研究も加速されようとしています。昨年NHKでクーロン人間の誕生の特集が報道されていました。このような研究は新薬開発など大きな経済効果をもたらす可能性もありますが、生態系を根本から揺るがす危険な要素も含んでいますのでその実用化には細心の注意が必要です。

 他にも様々な分野で新しい技術が開発されていますが、夏目漱石のこんな言葉に注目したいと思います。

 人類の不安は科学の発展からくる
 どこまで伴(つ)れて行かれるか分からない

 科学は日進月歩を続け、生活もより豊かになっているはずですが生活の「ゆとり」というものは失われてしまっているようです。
私が高校時代、父は生活を支えながらも自分の趣味を楽しむ時間―ゆとりがありました。庭には所狭しと盆栽が並び、池には色とりどりの錦鯉が悠然と泳いでいました。夜になると近所の友人と囲碁の時間。今の私には到底考えられないことです。

 洗濯機のおかげで、洗濯板で時間をかけて洗う作業がなくなり主婦の仕事は楽になりました。炊飯器もしかり。FAXが開発されて手紙を出す必要がなくなりました。今ではメールで一度に何十人もの人に書類が送れます。こんなに便利になればかなり時間的なゆとりができる筈です。どうでしょうか。現実は益々忙しいストレス社会になっていないでしょうか。

 今は亡きフォークシンガーの河島英五氏は
「時代おくれ」という歌を作曲しました。彼はこの曲で便利さばかりを追求している人類への警鐘を表現したものと思います。

 
だからモザイクタイルなのです。
● もうこれ以上利便性の追求は必要ない。
● 人々の心を豊かにできる製品の開発に残りの人生を賭けてみよう。


 タイルは我が町を支えているとも言える製品です。しかし、ユニットバスやクロスなどの新建材の普及で一般住宅ではしだいに使われなくなってきたいわば「時代おくれ」の製品かも知れません。
 幼少の頃、風呂やトイレの壁や床はタイル張りで、色とりどりで様々な形のモザイクタイルを毎日見ていました。トイレでは指でタイルの目地を追ったものですがこの些細な行為が
子どもの情操を育てると考えています。
 昔からある焼き物のタイルですが人類の営みになくてはならない存在と確信しています。

 「思無邪」・・・ 
私にとって良馬は、我が子達でありモザイクタイルです。先生方にとっては君達なのです。
これからもひたすら良馬を育て、その良馬が力強く駆けることを願うばかりである。

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